マンスリーコラム:ヨガへの道④


アシュタンガヨガを日々の練習に取り入れた私の次なる関門は
私自身が伝えるヨガのスタイルとはいったいどんなものにしたら良いのか?
そんなことの模索でした。

ティーチャートレーニング後、ヨガ講師としての自分のイメージや
どういう風に活動するのか?などは自分で考えなければいけませんでした。
トレーニングを受けたとしても本気でヨガインストラクターとして
生活を成り立たせていこうと思う人は少ないのかもしれませんね。
会社員としての収入があった当時の私はその辺りの不安を予測せず
みじんの疑いもなくヨガを教える人になるのだ。
とかなり楽天的に構えておりました。
尚且つ、巷のヨガスタジオのオーディションを受けて先生になることをせず
オリジナルのヨガ教室を作ることにとても専念しました。
というかオーディションなど受ける自信がなかった。というのが正直なところです。
ですので私はとても遠回りをして今に至ります。
あの時とっととやっておけばよかったオーディション等を受ける
というチャレンジを自分の要らぬプライドや勇気のなさから後回しにして
私のヨガを好きな人だけが来てくれればいいんだ。
等と自分本位な姿勢をとっておりましたので
完全に独自の路線のヨガクラスを何年も細々とした歩調で続けることになりました。

2009年から始まったその私の手づくりヨガクラスに『neyoga』と名付け
その後、朝はヨガ練習生としてアシュタンガヨガを学び、
その足で事務職をしながら夜はハタヨガを同僚に都内の区民館で教える。
そんなことをしていたらなんと4年も過ぎていました。

自分のヨガクラスのブログを作ったり、
口コミで同僚のお友達をクラスに呼んでもらったり、
カッコイイヨガクラスを目指して都心のスタイリッシュなダンススタジオに
レンタルで場所を借りてクラスを開催するも全然人が集まらなかったり、
ヨガマットのレンタルを無料でするためにカートに6本ぐらいヨガマット
をいれてオフィスに引きずって行ったり。

やれることと言うよりはやりたい事を全部やった4年間でした。
本業があったにも関わらず随分とヨガに専念しました(笑)
区民館のクラスは毎週欠かさずに出てくれる方々に支えられ、
(このクラスは只今赤坂クラスへと移行しており)
3年目ぐらいから少し行動の範囲が広がって友人が営むカフェで
定期的に月に1回のペースでヨガクラスを開催したり。
(1年間続けたこのお教室が『晴レル家教室』
ここでの出会いが今、稲毛のヨガキッズヨガに繋がっております。)

今からもう8年も前にお会いした皆さまが私がインドへ行った後も
ご縁が途絶えることなく私の動向を見守ってくださり
現在松戸で開催するヨガクラス等にわざわざ足を運んでくださるという・・・。
ヨガを通じて人と繋がる。
会社勤めの時にはなかった世界観と時間軸。

くどいようですが、私はヨガの先生の素質があったわけでもなく
誰からも先生になって欲しいと頼まれたり、先生になったほうが良い。
と言われたこともありませんでした。
ただ自分でヨガの先生になると決めたことだけは確かで
そのあとにお会いする皆さまとのつながりと道のりがあって
今があるのだと改めて思い返し、ありがたさで満たされる思いが致します。

つづく。

他にも沢山いらっしゃるのですがこれは2013年
晴レル家教室の時の最後のレッスン後の一枚。
場所は変わりましたが今でも皆さま全員ヨガを続けられております。