旅:旅の後に思う事

長い旅にでるとその後の自分の身の振り方を考えておかないと
大変なことになるのが私のパターンです。
その大変なことはその旅の長さに比例するように思います。

インドに8か月。
その無防備な旅の調整と消化になんと3年ぐらいかかり、
帰る場所がなくなったような、居場所が見つからないような、
何をすればいいのかわからないようなふらふらした日々を迷路に迷ったように
過ごしていたのを覚えています。
全ては準備不足でした。

今年の京都の旅はそんなことにはならないように帰る場所も、居場所も
戻る場所も明確にしていったはずなのにまた調整に時間がかかりました。
しかし幸運なことに3年はかからず約1か月で整いました。

京都の滞在はいつも通り余りにも自由気ままにヨガしかしない、ヨガのことしか
考えないそんな至福の2週間。
しかし何かが違う感じがしていました。
昔、私が渇望していたエネルギーがもう今の私には必要なくなっていることに気が付いたようなそんな印象を体にも心にも感じています。

大好きな先生との練習。
とか
憧れの先生との時間。
とかそういったものにガツガツしていた時期というのは誰にでもあるのでは
ないでしょうか?
でも
外側に望むものを探しに行く。
そういう事がそういう事じゃないんじゃないか?
という風になってきている。

今、私は定期的にヨガを練習をしに行く場所があり
その場所の練習はとても何というか静かなのです。
外側への探求がもうあまり魅力的に感じなくなってきた。
それよりも私という人の内側はいったいどうなっているのか?
そんなことを観に行く場所はやはりここにしようと。
今一度、ふわっと浮足立った旅行気分から戻った自分に
決めさせたようなそんな旅行後1か月を過ごしました。

21世紀の森は中々の昼寝どころ。