生活とヨガ:型と自由の関係性について

ふと、

なぜ、ヨガを選んだんだっけなぁ~。

と思い出していました。

はじめに出てきた言葉は

自由だったからだぁ。

と。

ヨガは自由でした。

ポーズはきれいにとれなくても
どんな格好でシャバーサナしても
途中で休んでも

だれにもなーんにも言われませんでした。
むしろ自由にやってくれとススメてくれました。

そうはいかない世界に長いこと浸っていた私は
その解放感が病みつきになり
なんてすばらしい世界観なんだぁ!!!
とそれ以来ずっとヨガにお世話になることにしました。

でもアシュタンガヨガには覚えなければいけない順番がありました。
それは必ずしも自由でなかった。

インドへ行って帰ってくると私が望んだのは茶道でした。
それもやはり一見堅苦しい規則がありました。

茶道はアシュタンガヨガに似ていました。
先ずは型を覚えなければいけません。
お点前は幾通りもありますが基本になる動きを覚えると
その中に自由がありました。

アシュタンガヨガも毎度毎度同じポーズの流れの中で
練習しますから何も変わりがないと言えばないのに
全然飽きることがありません。

型があるのに自由がある。

アシュタンガヨガと茶道の共通点はここでした。

私が昔いた世界は

型がある自由のない。

そんな世界でもがき苦しんでいました。

因みに

型もなくて自由もある。

その世界は魅力的に見えて実は案外苦しい世界だ。
ということも経験しました。

茶道やアシュタンガヨガをやることで
必ずしも型があることが苦しいことではないのだという事を
学んでいるのだと思います。

日本に生まれてよかったなと。

そんなことも思いながら

夜風が中々よいなと自転車をこぎながら

思いました。

今年の初釜の時に。