素敵な満月の夜でした 〜満月のヨガクラス〜


今月はお月様にご縁がありました。

はキャンドルの温かい灯りとお集まりいただいた皆さまの熱を借りて
とても上質な伸び感を感じるそんな夜になりました。

ヨガで熱をおびたカラダは素直に瞑想に入り込んでいけるかどうか?

独特のメソッドをもつ桧山先生の伝える瞑想は
耳たぶにある神の門、「神門」を引っ張るところから始ます。

イテテテテテ!!!
みんなで痛がります(笑)

独特ながらもやることはシンプルそのもの。
余計なものは省きに省いて兎に角、雑念にまみれてください。
それが瞑想ですから。
雑念や煩悩が許されている気さえする。

30分間静寂の中で座る瞑想は、
誘導もなければ何にもありません。
ただ座るのみ。

「向こうに行く。そして戻ってくる。」
この言葉の意味を理解できた人がどれほどいるのか?

私と言えば。
向こうに行くどころか常日頃から
こわばり・違和感を持つ右の足の付け根が時間が経つにつれて
痛みを発してくるものですから向こうに行ってる訳がありません(笑)

でも。
この痛みのサインは要するに私が今ここに居ることを
痛みを感じながらも瞑想を続ける私の居場所を伝えてくれていました。

私はここに居るのです。

「右の脚の付け根の刺激は昔々からの前世からのサインです。」

嘘つけよ。
そんなの知らない。

「お尻周りや脚の付け根辺りには怒りの感情が溜まりに溜まっています。」

はぁ・・・。

しかし、30分位の瞑想をしていると
やはり、どこかしらにサインが出てくるわけで
それがやはりいつも同じ場所であったりするわけなのは事実なのです。
その痛みの理由を探るのは興味深くとも、根拠のない作業になりかねない。
刺激の理由よりもその刺激があることを認める。
そして受け入れて座り続ける。

自分を知る。

どうしてこんな人生なのか?
なぜ生まれてきたのか?

理由はどうであれ私はここにいる。
そういうことを続けていくと
知らぬ間に。
私の右足の付け根の痛みが消えてしまうのではないだろうか?
そんな予感さえする。

今を生きる。
そういうことなんだと思うのです。

満月の瞑想で私は向こうへ行くよりも
ここにいる自分を非常に感じた。
そんな30分間でした。

ご参加頂いた皆様はいかがだったでしょうか?

そんなこんなもお聞きしたい本日です。

またの機会に。
また、月夜に集えるのを楽しみにしております。


キャンドルは一つ一つは小さいけれども
集まると熱をおびそして暖を与えてくれました。