インドの話 3

★インドでヨガ以外に何をしてきたかというと。
色々な物にチャレンジしたのですが
収穫と言えば、瞑想だったりしました。

★瞑想って一体なんぞや?
何故か、瞑想が流行っている雰囲気だけれども、
座禅とかそういうものもやったことがなかったし
そもそも、そう言った類のことをしている場所や人が
身近になかったし、いなかった。

★でも、インドは違った。
そこら中で、日本ではあまり耳にできない
聞いたこともない、スピリチュアルなカルチャーが
溢れていた。スピリチュアルマーケットだった。
そんな場所に身を置けたことは
私にとっては非常に幸運だったし、
毎日がとても刺激的で新鮮だった。

★ここに、
帰国する直前辺りに残した
ノートが今の私の瞑想の理解度を
示しているような気がするので、
以下に貼り付けてみます。

★何を言っているのか若干、いやスッカリ
わかりませんと言う部分若しくは全文がここにはあるかも知れません。
が、

瞑想とはそう言うものなのか?

と言ことに対して、徐々に理解の過程を進めている人が
あるとき思ったことの記録
として見て頂ければと思います。

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2014年6月8日

昔の記憶の夢をみた。

昔の職場で働く夢。
とても忙しく、お客さんが大勢入ってきて
お冷等、きちんとしたサービスが
出来なくて悔しいと思っている。

カッコつけたデザインを
合理性を求めたほうがいいとこまで
やっているため、
水道管が壊れたり、あまりの暑さに製氷機の
氷が間に合ってなかったり、
して、イライラしている。

また、他のスタッフとの連携が取れず、
一人ですべてをやろうとしすぎて
結局、自分がやりたかった領域に目が行き届かず、
他のスタッフが自分のやりたかった領域
をケアーしていて
また、悔しいと思っている。

あの日の私の感情と記憶が
まだ、身体に染み付いている。

あの日々で
私はドンドンと私らしさを
無くして、忍耐と我慢をし過ぎて
自分をその価値以下に置き
殆ど、病気だったのだと思う。

オフィス時代もまた、
今度は自分のキャパを越え過ぎる場所に身を
置き過ぎて、毎日、居心地の悪い思いを
していた。

本当の私がいた年齢は
なんと、5才だったという事か。
5才に戻った今することは
私を正しいやり方で育てること。
中心を見失うことなく、
私のキャパシティをいつも
理解して、エゴに走ることなく、
決して私を見下すことなく
生きること。

いつも、中心にいることが
いかに大切か。

私の中心を。
探し磨くことで
心の平和が訪れる。

自分を見下し過ぎると病気になる。
自分の許容範囲を超える様な
勘違いはエゴを増やし病気になる。

センターにいること。
少しづつ、自分を磨いて
上を目指すこと。

瞑想はそういう事を
教えてくれる。