ヴィパッサナー瞑想:暴走自転車への”怒り”をどう処理するか?

先日の「冷蔵庫の前で立つ瞑想」は

冷蔵庫
開ける
豆をみた
違うと思った
歌った
別の物を探した

別の日は歩きながら、
見たものだけに感情を入れずにラベリングするので、




自転車
男の子
おばさん
赤い車
ワゴン車

しかしここで猛スピードで横から自転車の男の子が
出てきました。

「チッ、あぶねーじゃねーか!
ゆっくり走れぼけなす!」

はっ!
いかん!
感情が事実より勝ったときは感情にラベリングします。
ここでかなり遅いラベリング。

怒り

私は初心者ですので
「チッ、あぶねーじゃねーか!ゆっくり走れぼけなす!」
全てのフレーズを完全に言ってからのラベリングです。
大分余計なことを口走って言ってます。
そして言葉が悪い。

これがもっと早く、「チッ!」ぐらいに素早く”怒り”
とラベリングできればその後に続く
「あぶねーじゃねーか・ゆっくりはしれぼけなす!」
まで言わなくて済むわけなんだなと。
もっと早く、暴走男子を認識した瞬間辺りから”怒り”
と入れられれば「チッ!」も言わずにただ怒りの感情の確認だけで
事は済み、事実のみの確認と認識で終わるのです。

その後に”怒り”が収まらなければ
感情の確認と共にまたラベリングを続けるまでです。

先生は
ネガティブな言葉や感情は連鎖のようにどんどんと
そのネガティブを大きくしていくものです。とおっしゃっていました。
全ては今起こっている事実ではなく昔の記憶。
不完全な妄想でしかない物を事実だと思い込む。

もし私が「ぼけなす!」の後に”怒り”とラベリングしなければ
その後つらつらと「あいつ急に出てきやがって!」などと余計な
怒りを燃やし挙句の果てに全く違う別の日の同じような怒りを思い出して
怒りの炎をたぎらせ炎上~。
怒り炎を増加させているのはほかでもない自分自身なのだ
と気が付くとそんなことにエネルギーを使う意味もなく無駄なのでやめよ。
と思うのでした。

因みにヴィパッサナー瞑想では
行動や感情を認識することを
気づきを入れる。と言い、
気づきのことをサティと呼び
サティを入れる。
とかそう言う言い方をします。

サティを入れる。
特訓の日々を続けてみます。

駅前にはサティというスーパーがあったな・・・などとまた余計なことを考える。