生活とヨガ:家族という小さな集まりを思う。

私は8年程都内に一人暮らしをしていた時期がありました。
誰も知らない縁も所縁もない土地でしたが
とてもいいなと思ってそこに住むと決めました。

一人暮らしは気ままで誰にも邪魔されることもなくそれはそれは自由でした。
会社員でしたから会社に行けば人と繋がりましたがみんなそれぞれ
プライベートは別々でしたので仲が良いわけでも悪い訳でもない
そんな感じでした。
仲の良かった同僚とはお互い職場が変わってもよく会いましたが
各々住む場所は違うのでそれ以外の日常の干渉はしませんでした。

あの時の私は自由な時間は平日の夜と週末だけ
たまに家いる週末くらい外に出ずに自分だけの時間を過ごしたい。
そんな自分に喜びを感じ旅行やヨガ、たまの女子会などにも行きましたが
家に帰ればまた独りの時間を謳歌してスッキリした気分になる。
そんな日々の繰り返しでした。

ですからその土地に住む人達と繋がることはめったになく
こんな生活の私がそれほど積極的に地域に加わっていけるのかと言えば
そのモチベーションはとても低めで
周りが冷たかったのかと言えばそうではなく
アパートの大家さんが夏のお祭りに声をかけてくれたり
週末だけ野外に野菜を売りに来てくれる八百屋さんで買い物をしたり
それなりに普通に過ごしていたけれどもなんだかとても薄い感じだったのです。

薄い地域と人との繋がり。

私は今、家族の元に戻り一緒に暮らしています。
家族とは。
繋がるべきものが目の前に合ったにもかかわらず
当時はあまりその大事さに気が付いていなかった。
家族がいてくれるお陰で今だってそんなに積極的に地域に繋がるような
ことをしているわけではないのになぜか安堵感があるのです。
ひとりでは作り出せない安堵感。
家族という小さな繋がりの集まりのお陰で地域が繋がる。
その家族ひとつひつには何かと様々に乗り越えるべき出来事が
日々何かしら起こっているに違いないのですが、それでもやはり
人が小さく集まって繋がりその繋がりがその土地の安定感を
作り上げていくのではないかとそんな風に思います。
小さな目の前の家族を大事に思う。
そんなことを考えた日でした。

毎年恒例年に1度の家族旅行、今年は佐賀の嬉野へ温泉と陶磁器の旅。
行かないと言い張っていた数年前より居心地が良くなっていました。